<参照資料>

将来、追加するスペースです。

(案)拉致監禁によって家族をバラバラにしないでほしい署名

私たちが求めるものは単純です。


母と子が面会をすることができるようにしてください。
「拉致監禁」によって夫婦親子をバラバラにしないでください。
署名にあたり、拉致監禁の事実を伝える動画をご覧ください。



脱会説得による悲劇①


文字にも起こしましたので、ご参考になさってください。
(拉致監禁、夫への手紙、娘への手紙、夫の脱会、弁護士の策略、現在まで)


<発端>


「拉致監禁」によって、親子夫婦に悲劇がもたらされました。
愛し合っている二人を強引に拉致監禁して別れさせました。
幼い子供まで一緒に拉致して説得に利用しました。
監禁説得の上で夫婦の離婚に追い込みました。
残された奥さんは夫の監禁時にお腹に2人目の子供がいましたが、連絡すらありませんでした。
奥さんのお腹には新しい命が宿っていましたが、突然夫が拉致監禁されました。
絶望で自殺をも考える日々をお腹の赤ちゃんのためにだけに生き抜いてきています。


このような悲劇をもたらした当事者がいます。


それは、とても信じがたいことですが、「キリスト教の牧師」と「弁護士」たちでした。
キリスト教の牧師と言えば、世間では人格者であり、寛容であり、善人であり、理想的な人間と思われているかもしれませんが、一部の牧師は、全くの逆です。


そして、弁護士にも正義の仮面をかぶった似非弁護士が存在します。
このことは論を待ちません。周知でしょう。


彼らは、独自のネットワークを持ち互いに仕事を融通して組織性を持って活動します。
「脱会カウンセラー」「脱会屋」「拉致監禁ビジネス」などの呼び方でよばれます。


全国弁連の中でもの特定の弁護士だけに、高額献金者の元信者の訴訟があてがわれ、残りの弁護士は実質的にはただの連絡係です。


世界中どこに行っても親の愛は普遍的に子供を無条件で愛するのです。


法が親子を引き離す必要がある時もあるかもしれませんが、それは客観的に慎重に判断されなければならないものです。


動画のケースでは拉致監禁により離れ離れにされた親子は、とても不自然な手続きで親子の分断が行われています。
弁護士の策略 - kigengireのブログをご確認ください。(上記動画での13分01秒あたり)



<今も続く拉致監禁の被害>


このような人権侵害がなぜ起こるのでしょうか?


「拉致監禁」は明らかに刑法犯罪です。
刑法220条に規定された「逮捕監禁罪」の構成要件を明らかに満たします。


それなのに拉致監禁が繰り返されてきました。


統一教会の歴史を見ると、古くから共産主義とキリスト教界との軋轢があります。
詳しい説明は別の機会に譲るとして、統一教会への迫害は主にキリスト教の牧師による教義面や噂話のゴシップ記事などを根拠に行われます。
教義についての議論は全く無益です。
宗教論争がねじれた議論の連続で、全く何も生み出さないことは、おおかたの宗教論争に共通しています。


例えば、一部のクリスチャンは再臨の時には死人が蘇り、イエス様は雲に乗って来られると信じています。
多くの宗教が一般では認めがたい信仰を持っています。
だからといって非科学的なものだから否定して、信仰を奪ってもいいはずはありません。
宗教は何が正しいとか、どちらが優れているとかの議論が無理なのです。
宗教間の議論は常にねじれているので、公に議論して解決するものではありません。
キリスト教の牧師といえども、統一教会の教義を批判しても一方的でかみ合わないはずです。


ですから、脱会説得は主に、悪い噂、ゴシップ記事を刷り込む作業になります。
そして、噂話ゴシップ記事はある程度、新米信者に対しては効果があります。
しかし、年数を重ねた信者には噂話は何の効果もありません。
信仰歴の長い信者は悪い噂も知ってしまっているからです。


結局のところ「脱会説得の中身」は、「噂話」と「脅迫」なのです。


「信仰を捨てるまで、ここから出ることはできないぞ」


この「脅迫」の言葉に尽きます。


拉致監禁されると外界から全く遮断されます。


当然外の空気など吸えません。


窓も扉も中から開けられなくしており、出入口は南京錠と鎖で自由に出入りできません。



そして、孤立無援で朝から晩まで、人格を否定され続けます。
信仰をバカにされ、人間扱いを受けない日々を過ごします。
(リンク)
それを何か月耐えることができるでしょうか?
皆さんなら、どうでしょうか?
半年耐えられますか?1年耐えられますか?10年耐えられますか?
12年5ヵ月耐えた人がいます。(リンク)


多くは、「辞めたことにして監禁を抜け出そう」と思うはずです。
ところが「辞めた」といったところで、信じてはもらえません。


いくつもの踏み絵を踏まされます。
例を上げます。


<卑劣な踏み絵>


自分が手塩にかけて伝道した人を脱会させる手助けをする。
監禁されている信者の説得をする。
甘い説得をしていたら逆に「お前、まだ信仰しているだろう」と疑われて再度監禁、再教育となります。


元居た教会に訴訟を起こして、献金を取り戻す。
もともと信者がした献金ですが、返金口座は弁護士のものになっています。


つまり、信者には一部しかわたっていない可能性があります。



献金を取り戻すことで弁護士が潤います。


脱会させた報酬は牧師の懐に入ります。



まさに「脱会ビジネスのカルマ」と呼ぶにふさわしいシステムです。


このような利権構造が何の罪もない多くの信者の人生を狂わせて来たのです。


(「統一教会による被害」と言っていますが、実質は「拉致監禁」によって作られてきているようなものです。)


さらに、統一教会を脱会した元信者は、新たな拉致監禁の手伝いをさせられることになります。
自分が脱会したことを証明する必要があるのです。
自分の脱会が心から信仰を棄てたのだと証明しなければ、再び監禁される恐れがありますから、牧師の命令には絶対服従です。


偽装脱会の行く末は、今までさんざん悪口を言われてきた相手に腰を低くして低身平伏して従順に仕えることによって、自分の立場を証明し続けなければならない運命なのです。


統一教会員にとっては禁酒禁煙、男女関係に対しては非常に厳しい道徳観念を持っていますから、それを踏み絵として利用する牧師もいます。


教義で禁止されている酒を飲ませる。
特に卑劣なのは女性の信者に対して牧師が性交を要求する「性の踏み絵」(リンク)
拉致監禁の末に牧師の情婦となった女性もいました。(リンク)
純潔を潔しとする宗教倫理を持つ団体の構成員として、これらの踏み絵は実質的な「信仰生命の処刑」に等しく、教会に戻る意思を著しく挫(くじ)けさせます。


脱会させた女性信者の父親は拉致監禁の上、牧師が娘を犯したことを知り、自らの行いを恥じて、自殺した人もいます。


<孤独と恐怖>


「孤独と恐怖」
これが脱会説得者が利用する最大の武器なのです。


統一教会の信者の中には何か月も何年も耐えた人もいます。
説得する側の内容がまるで陳腐で内容がないから長引くのです。


脱会説得の内容ではなく「脅迫」が9割です。
独裁者が人々を操るように「脅迫」を利用して脱会させているのです。


そして、脱会させた後は牧師の手足となって働くことをもとめられます。


もとより説得など内容があってもなくてもいいのです。「脅迫と強要」で相手を身動きできない状態において、精神的なリンチを行っているのです。


脱会説得者の優位性は「脅迫」と「制限のない監禁時間」です。


「受け入れなければ、いつまでもここから出ることができない」と脅すのです。


「脅迫」によって、相手を参らせているにすぎません。


日夜、「脅迫」を続ける、それが拉致監禁です。



<警察の無力>
警察が何とかしてくれるはずだと思われる人もいるでしょう。


驚くべきことに、警察は監禁を発見しても何もできません。
警察でさえ、「父母による保護」だといえば、笑いながら帰っていきます。


「拉致監禁」はキリスト教の牧師が先導しますが、実行は父母や親族が行います。
これにによって、警察に対して「民事不介入」原則を盾に取り、法の支配が及ばないのです。


監禁されている者にとって警察の訪問は救いではなく、「落胆と絶望」でしかないのです。
たまたま、警察が監禁場所に近所の通報で来たとします。
親族が警察に説明します。「これは家族の問題です。監禁ではなく保護しているのです。頭が変になって、おかしな宗教を信じてしまったので、説得しているところです。」
だいたい、こう説明すると、警察は「なんだ、そうですか。ご親族が一緒なら心配ないですね。穏便にやってください。近所から苦情が出ないように。」などと、笑いながら帰って行ってしまいます。


残念ながら、ほとんどのケースで警察が活躍してくれません。



<マインドコントロールは拉致監禁を正当化する>(リンク)


繰り返しますが、「マインドコントロール」という言葉は差別を正当化し人間性を失わせる、とても恐ろしい言葉です。


拉致監禁被害がこれ程長く続いた背景には、こうした「宗教への差別と偏見」があります。


いわゆる人権活動家は昔「レイシストは去れ」と差別に反対する発言をしていましたが、今は、一番差別をあおっています。
「相手がカルトであるなら、いくらでもやっつければいい」と多くの人がなんの疑いもなく述べています。
ちょうど今のマスコミがやっているようなものです。


レッテルを貼り、徹底攻撃の繰り返しです。
間違っていてもおかまいなしです。
やがて大衆は叩いている理由さえ忘れて、麻薬を飲まされたように「リンチ劇」に夢中になります。
本当の意味で「マインドコントロール」されているのは、テレビの前にいる国民たちです。


そして、このような差別的な風潮は、既成の宗教ほど新興宗教に対しては顕著です。



清水牧師の発言です。


「統一協会に入っているものは一生座敷牢に入れてもいいんだ。」「統一協会に入っている者は、侮蔑の意識を持たれても当たり前なんだ。」


(リンク)



<実は親の方がはるかに洗脳されている>(リンク)
もう一つ、謎があると思います。


親がなぜこれほどまでに子供を取り戻そうと躍起になるのでしょうか?
かわいいはずの子供をなぜ、監禁して虐待するのか?


そこには「偽りの情報による脅迫」があります。


弁護士や牧師が信者の父母らを拉致監禁に向かわせるためによく使う言葉があります。
「正体を偽って勧誘している」
「反社会的である」
「今は、被害者であるがそのうち加害者になって刑務所に行くことになる」
「アベル(上司)の命令に忠実なロボットにさせられる」
「自分の意志で行動ができない」
「いつか犯罪者になり人に迷惑をかける」


おおよそ、これらの言葉を繰り返し両親に聞かせ、恐怖をあおります。


そうして、父母らが「子供を救ってください」と泣きついてくるところまで、恐怖感をあおるのです。
いよいよ泣きつかれてから、救いの手を差し伸べます。


脱会させることに成功した父母たちの集会(「反対父母の会」)に参加させたり、元信者の証言を聞く集いに参加させたりします。


やがて、拉致監禁の実行の準備に進みます。


必ず親戚に手助けを求めます。親戚と打合せ、拉致の予行演習もします。



拉致監禁の実行の着手時は、間違っても牧師が直接監禁の場に立ち会うことはありません。
牧師自らその場にいると、後で「刑法220条逮捕監禁罪」の疑いをかけられるからです。




<監禁は精神的暴力>
「拉致監禁」の人権侵害の本質は「継続的な脅迫」です。
「信仰を棄てないと、ここから出してもらえない」
監禁の期間中、この強迫観念が付きまといます。朝も昼も晩も監視下で自分が信じているものの悪口を言われ続けるのです。


今回の件とは別件ですが
中には3度も拉致監禁をされた人がいます。
その方は3度裏切られ、監禁され、人間扱いをされない体験の中で、廃人のようになってしまった事例があります。
(リンク)
こういう例はまだまだあります。(リンク)


統一教会員の拉致監禁は過去の事例は4300件にまで及びます。かつて80年代後半に霊感商法の問題が起きた頃の「青春を返せ」訴訟では全国で170件もの訴訟が統一教会に対して起こされたということです。
その中では、「拉致監禁」により脱会したものが大半で、「拉致監禁によらない脱会者」(つまり自主的脱会者)は、わずか5名ということが昨日、花田編集長と福田ますみさんとの対談で語られていました。(リンク)


このようにして牧師と弁護士側が「拉致し、監禁し、脱会させ、被害者に作りあげている」事実があるのです。




<今、阻止すべき理由>
30年以上続いてきた拉致監禁の多くは、主に独身の信者を狙ったものでした。
2000年代に入ると、既婚のカップルを同時に拉致監禁したケースもありました。
そして今回、夫婦を離婚させ、幼い娘を母親から引き離しています。
まさに年々凶暴化しているのです。


片親を脱会させ離婚させる。
置き去りにされた母子家庭に対する配慮はみじんもありません。
明らかに凶悪です。


凶悪な例はほかにもあります。
ろくに食事をさせてもらえずがりがりに細くなった後藤氏のような例もあります。
(リンク)


幼い娘を取り上げられたかもしれません。
「娘はどこだ」と聞いたとしても、「お前が信仰をやめたら、教えてやる」というのではないでしょうか?
親子ともども拉致監禁するという、凶暴さ。
無理やり、監禁されて孤立無援で「精神的な拷問」を受けさせられているのです。
娘のことが常に心配でしょう。
これは、人質と同じことです。
幼い娘を人質にした卑劣極まりない極悪非道の行為といえます。
幼い娘さんはお母さんに会いたがったはずです。
でも、会わせなかった。
これは、明らかな幼児虐待です。
妊婦の妻にも連絡を取らせてもらっていません。
監禁された夫にとって妻の健康が心配でしょう。
お腹の子供の発育に影響がないか心配します。
ショックで流産の心配がないか、心配は尽きません。
夫婦とお腹の中の子供にとって大事な時です。
そのような時期に父親を長女とともに拉致監禁とは、常軌を逸しています。


きっと夫は「娘のためには、私(夫)が信仰をやめるしかない」と思ったでしょう。
お父さんは脱会を決意することで、娘を守ったのだとおもいます。


娘さんがお母さんに「会いたくない」といった時、言わされていたのは明らかです。
どう説得すれば、実の娘にそんなことが言わせられるのでしょうか?
母親に対して「会いたくない」と言わせる行為の方がはるかに恐ろしいマインドコントロールであると言えます。
残酷すぎるやり方です。


幼い娘さんも、これほど恐ろしい思いをしたことはないのではないでしょうか?
父親は何日も何日も監禁されて虐められ、母親にも会わせてもらえない。泣こうが叫ぼうが母親に会わせてもらえない。
どれほど、心が傷ついたか想像すらできません。


祖父や祖母は、息子に信仰を辞めてもらいたい一心で牧師を頼り、拉致監禁にいたったのかもしれません。しかし、それはあまりにも身勝手です。
半狂乱で拉致監禁に及ぶ親族らの前に、幼い娘さんの子供心は傷ついたことでしょう。


大人たちは子供のことを何も考えていない。
まわりには法律の専門家(弁護士)、宗教の専門家(牧師)がいました。
ですが、小さな子供の心の一つも心配してあげる人がいなかったのです。


一体だれがこんな仕打ちを考えたのでしょうか?
「牧師と弁護士の脱会屋グループ」が幼い子供と母親を無慈悲に引き裂き、夫婦を引き裂いたのです。


もう、我々は見てはいられなくなりました。


<皆さんの力をお貸しください>
宗教を信じるすべての皆さんにお願いします。


「カルト」「反社」のレッテルを貼られるだけで、人間扱いをされないまま「拉致監禁」によって家族が引き裂かれる世の中が来たとしたら、どうしますか?
もう、そんな社会に足を踏み入れています。


国家による家庭の管理が進められ、民主主義の崩壊を招く事態を招きつつあります。
これを、黙って見過ごすことはできません。


今回の署名は、単純に「母と娘の永続的面談を求める」ものですが、宗教の自由を守りたいすべての人たちの権利を守る第一歩にもなると信じています。
皆さんの力を合わせましょう。


<この署名の趣旨>
これは、娘さんとお母さんを会わせてあげることだけを願って始めた署名の要望書です。
だだ、拉致監禁の問題に触れずにはこの課題は解決しないものなので、拉致監禁問題も取り上げました。
「拉致監禁による親子の分断、夫婦の分断」は見過ごすことができません。
しかも、この不正義を「正義の仮面をかぶった弁護士」が行っているという現実があります。
多くの人たちの力を借りて、弁護士による人権侵害に修正を要求しようと決意しました。
私たちの願いは「拉致監禁により親子夫婦をばらばらにしないでほしい」ということです。
とても簡単なことです。


<要求内容>
結論として
拉致監禁により家族がバラバラにさせられないことを求めます。
拉致監禁により信仰を奪われることのない社会を求めます。


また、署名はペンネームなどを利用いただくことも可能でございます。
本名でしていただく必要は必ずしもありません。
お気持ちを頂ければ幸いです。



<署名提出先>
法務省殿
宗教の自由を定めた日本国憲法の精神に立ち返ってください。
「拉致監禁」は明確な刑法違反です。態様も構成要件も満たすのになぜ、監禁罪を適用して取り締まりをしないのか、ご説明ください。
国際条約で人権を重んじる国であることを表明してきているはずです。実行してください。
今後は、「拉致監禁」を許さないと表明してください。
国際社会に説明できるように「拉致監禁」を無くせるように監視、対策をお願いします。


警察庁殿
警察が民事に不介入であることを、拉致監禁する側は逆手に取ります。
そこに監禁されている人がどのような状態にあるのか調べてください。
何日も部屋の中から出ていないなら、理由を確かめてください。
本人の自由な意思が表明される環境であるのかを確かめてください。
その部屋の賃貸契約に似合った居住者が済んでいるか確認してください。
12年5か月も自由を得られなかった人のように、助けを求めている人がいることをご理解ください。


日弁連殿
弁護士として正義の何恥じない行いをしてください。
法曹として正義を志した初心に帰ってください。
人権を守る側の弁護士が「拉致監禁」を利用して私腹を肥やすことをやめてください。
拉致監禁に手を染め、脱会を生業とした職業脱会屋に関連した弁護士を調査してください。
二度と「拉致監禁」の被害が生じないように対策を講じてください。


その他、改善の度合いに応じて、各県の公安委員会など、有効な対処をお願いする所存です。
また、ここに書いてないものであっても「署名の趣旨に則った要求」は行ってまいります。


<資料>


「拉致監禁」の真相は昨今明らかになりつつあります。(リンク)
拉致監禁によって脱会した元信者さんはPTSDを患い、決して幸せな人ばかりではありません。むしろ不幸な方の方が多い。(リンク)
日本の旧統一教会信者に対する「拉致監禁」は既に10年以上前から国連で問題視されてきています。(リンク)
国連の人権委員会でも日本は人権問題では問題にされる側に立っています。(リンク)
日本の宗教差別は世界中から批判されています(リンク)


悪事は暴かれつつあります。


<ご賛同いただいた皆様へ>
署名を始めるあたり、多くの方々にご賛同をいただきました。(予定)
ありがとうございます。
ご賛同者各位
(敬称は略させていただきます。Twitter上の名称にてご紹介させていただきます。順不同とさせていただきます。)


(予定)皆様、ここに名前を並べてみませんか?(ツイッター上の名前で結構です)


のぎへん
言論の不自由
だいほんえいペンタゴン-マスゴミをぶっ壊すVer2
らくらくスマホ【勝共連合応援】【旧統一教会応援】
統一教会と関連が会って何がわるい
西野ひかり
統一教会とは関連を断ちます【暗黒面に落ちました】
だいほんえいPart3
NHKスクランブル化【統一教会応援】
よしいくよ
旧統一教会応援【議員向け踏み絵】
金相


皆さまに心より感謝いたします。
今後とも「母子の再会」「拉致監禁のない社会」に向けてご助力賜りますことをお願いたします。

マインドコントロールはもう死んでいる

引用

<マインドコントロールは拉致監禁を正当化する>
よくよく考えてみると、これは明らかな犯罪なのですが、常習的に拉致監禁を行ってきた牧師にとっては「相手はマインドコントロールされた反社の人間だから、何をしたっていいんだ」と自分たちを納得させているのです。




監禁ではなく、保護説得だというのは、一面では牧師や保護者にとっては良心の呵責を起こさせないストッパーと言ってもいいものです。
自分たちのやっていることを正当化して自分たちを慰めている言葉です。




さらに
恐ろしいことは「カルト」という言葉でレッテルを貼ってしまえば、何をしても許されると思っているのです。




そういう心理は、ネットの書き込みを見れば散見できます。
「あいつらはマインドコントロールされているから、人間ではないんだ。人間扱いする値打ちもない。何をしたっていいのだ。あいつらに人権など認めなくていい。」と。
無茶苦茶な理屈を語る人だっています。




実は、これが「マインドコントロール」という言葉が用いられる理由です。




「マインドコントロールされている」という言葉を使うことによって相手に対して「何をしても許される」環境を作り出す目的があるのです。




「マインドコントロール」という言葉によって、脱会屋の活動を正当化する土壌が生まれるのです。
「マインドコントロール」状態を一種の病理的異常な状態と見なすことで、差別やヘイト行為をなんら良心の呵責もなく行えるようにしてしまうのです。




この「マインドコントロール」理論は海外では否定されていますが、一部の弁護士や反統一教会活動をするグループはいまだにこの言葉を利用しています。




繰り返しますが、この言葉は差別を正当化し人間性を失わせる、とても恐ろしい言葉です。




拉致監禁被害がこれ程長く続いた背景には、こうした「宗教への差別と偏見」があります。




いわゆる人権活動家は昔「レイシストは去れ」と差別を反対する発言をしていましたが、今は、一番差別をあおっています。
「相手がカルトであるなら、いくらでもやっつければいい」と多くの人がなんの疑いもなく述べています。
ちょうど今のマスコミがやっているようなものです。




レッテルを貼り、徹底攻撃の繰り返しです。
間違っていてもおかまいなしです。
やがて大衆は叩いている理由さえ忘れて、麻薬を飲まされたように「リンチ劇」に夢中になります。
本当の意味で「マインドコントロール」されているのは、テレビの前にいる国民たちです。




そして、このような差別的な風潮は、既成の宗教ほど新興宗教に対しては顕著です。




清水牧師の発言です。




「統一協会に入っているものは一生座敷牢に入れてもいいんだ。」「統一協会に入っている者は、侮蔑の意識を持たれても当たり前なんだ。」





本文↓


昔はマインドコントロールという言葉を昔は使って宗教を理解していた

海外ではこの考え方は既に否定されている。
そして、なにより
拉致監禁されて脱会した人たちがどれだけ幸せになっているのか?
牧師の走狗にされている者もいる。
テレビに出演して悪口を言ってこいと言われれば言いなりになるしかない。
電話で苦情を言え、と言われれば従うしかない。
新しい信者を獲得するためにマンションに閉じ込められた幼い信仰者をたぶらかす援助もしなければならない。
脱会した信者たちの人生は本当に幸せだったのか?
夜桜の憂い