空想未来家庭(閲覧注意;フィクションです)

数年先の未来が舞台だ。


昔々、統一教会とかいう宗教団体への締め付けが原因で、家庭の管理を国家が行うようになった。
最初は、信者の子供のうち虐待が報告された子供を保護して親の代わりに国家が養育しようとしていた。
その時の政権が決断力のない「聞く耳自慢」の風見鶏総理だったものだから、左翼の要求ばかり聞き入れてしまい、少子化対策と慈善事業をごちゃ混ぜにして、宗教家庭の管理を公的機関が行う体制を作ってしまった。


それ以来、宗教を持っていた家庭の子供たちは正常な人間に戻すために当時、キリスト教団体が指導する形で作られた「日本基督教再教育キャンプ」なるものに参加が義務図けられることになった。


もともと教会に通うことに抵抗を持っていた当時の信者の2世たちは、解放感に喜び「再教育キャンプ」に参加していた。


新しい組織では、カウンセリングが行われ、希望者には日曜礼拝も参加していた。もちろん参加するのも不参加も自由だ。
年齢に応じた自立支援が行われその請求は両親が半分を負担し、残りを国が負担する形がとられた。


やがて、貧しく育った信者たちにとっての転換が訪れる。
「あしながおじさん」が現れたのだろうか?


そうではなかった。
(おそるべき)「志那おじさん」が現れたのだ。



当初は、国家の予算の中で運用されていたが、特定の宗教団体の子供に国家の資金をかけることに国民の同意が得られにくくなり、両親や家庭の負担も大きいことから、少しづつ民間の資金で運営される「キリスト教孤児院」が生まれていった。
両親が健在であるにも関わらず、日本基督教団と紀藤弁護士らの連絡弁護士らは親と子供を分離して育てることにこだわりを持っていた。
それでも何ら経済性を考慮されていない組織であったため、新たな受け皿を求める機運が高まっていった。


その時、民営化の手助けをしたのが中国資本の財閥だ。
中国の企業が「再教育キャンプ」を高度な職業訓練を施せる施設を建設し、国から管理を委託されることになったのだ。



ここで、時間を戻す。
旧統一教会に対するマスコミの偏向報道で政治の世界ががらりと変わってしまった。

そのころに増えてきていたのが、中国から移民してきた帰化した外国人だった。


当時の政策で日本に留学した学生たちは毎月お金をもらいながらバイトもし、本国に仕送りもしていた。中にはそれで本国に家を建てるものもいたということだ。
しかし、それは表向きの話で、本国に送られたお金はすべて本国の共産党によって管理されていた。その資本を今度は、日本の中での工作に用いるため、あえて本国で消費をしたように見せていたのだ。


日本に帰化した中国人は当時始まったマイナンバーカードにより日本人と同一の、そん色ない地位を獲得した。
彼らは、本国から送られてくる資金を用いて、日本国内の土地や会社をどんどん買っていった。
相場よりも高く売れるので、販売業者も証券会社も喜んで帰化人をもてなした。


本国から送られる資金と日本人としての地位を利用すれば、もともと、土地ころがしで中国を大きくした者たちには日本での商売は楽勝だった。


本国ではポピュラーではなかった株やFXで大儲けする帰化人投資家も増えた。
さらに、生活保護を受けながらも本国から資金を与えられ投資で成り上がるものが現れてきた。
彼らはたちまち「日本華僑」と呼ばれるアジアでも有数の巨大な経済圏を作り上げていたのだ。


彼らは、本土から家族を呼び寄せたり、家族ではない疑似的に家族を形成し大家族のような組織を作り上げていた。そうした大家族は次第にマフィア化し日本の暴力団を吸収していった。
外国人に与えられた特権が警察の活動の妨げになっていたことは当時から危惧されていた。
破防法の指定を受けることもなかった。彼らは家族として認定されているからだ。家族の問題に日本の警察は何ら手出しはしない。内部でリンチが行われようが、関係なしだ。
警察から干渉を受けない親族形態の反社組織が不法移民を背後で吸収し肥大化してきていた。


一方、政治の世界は、そんなことには構っていられなくなっていた。
政治家にとっては「宗教」と「外国人」にはかかわってはいけない存在になっていた。


マスコミが宗教との関係をすっぱ抜くだけで、政治家の地位は吹き飛んでしまうからだ。
そのため政治家は、有権者の信仰をあらかじめ調査する必要があった。
表立って訪ねることもアンケートに答えてもらうことも難しく、興信所を使って支持者の一人一人を調査するのが公然と行われるようになっていた。


やがて興信所で調べられた情報が、よこ横で流されていくようになっていった。
そこに入り込んできたのが某国から帰化した地方議会の議員だった。
彼らは、手に入った情報を相手候補の立候補を断念させるために用いた。
情報を持つものが権力を手に入れる。
こうした権謀術数には某国の帰化人は日本人よりも長けていた。
こうして、地方の議会は次第に帰化人に占められることになっていった。


いつのころからか、政治家は宗教と関りを持ってはいけないというタブーが生まれていた。
これが政治と日本の世の中をがらりと変えた。


宗教団体の建物の前で写真を撮られることを恐れて、議員はわざわざ道を迂回することもあった。そのため、宗教団体の所有する建物は大まかに把握しておく必要があった。通常大きな宗教団体は大きな施設を持っているから、その施設の周辺を通るときは、隠し撮りをされないように、う回路に回る必要があった。
ある議員は、宗教団体の施設を書いた地図の入った手帳を落としたために、マスコミに叩かれ、閣僚を辞任する羽目になった。


今時の議員にとって宗教団体は近寄るべからざるものになったのだ。



さらに、外国人の権利についても、うんぬんすることはタブーとなっていた。
地方の首長の多くは外国人参政権を認め、国政でも帰化した外国人と従来の日本人を何ら区別することなく同じように参政権を与えることになっていたのである。


差別という言葉も多くの人の間で、タブーであった。




はるか昔、沖縄がまだ日本の領土と言われていたころに警察が個人情報を抑えられて犯罪者の言いなりになっていた。
当時の人たちは気づいていた。
昔の資料にもネトウヨと言われる集団が盛んに訴えていたが、政治家たちは陰謀論という当時の便利な言葉でかたずけてしまった。


そのため当時の政治家らは何らの手も打たなかった。


日本全国に帰化人が増えていくにしたがって、警察組織の中にも元外国人の警官が生まれ、警察官の個人情報も次第に「~一家」側に知れ渡ることとなっていた。
警察官も家庭がある。平和に家庭を守るためには「~一家」にらまれてはいけない。当然同僚同士でも密告されれば家族に危害が及ぶ。
もはや、地域の警察は地方にあるの「~一家」ににらまれてはなにもできない状態になってしまっていた。
こうして警察の幹部はとっくの昔に帰化人たち「華僑マフィア」に占められることになっていった。


彼ら警官にとっての心配は、いつも「日本人たちが騒ぎを起こさないでほしい」ということだけになっていた。もはや、市民のために警官の使命をはたそうとするなら、純粋な日本人が今の世の中に不満の声を上げることに警戒しなけらばいけなくなっていた。
おとなしくしてくれていれば、生き続けられる。
家族を生かさなくてはいけない。その一心で職場で「日本人が声をあげること」に注意を払い日々を過ごしていた。
「日本はウィグルのようになる」と言っていたが、ようやくその意味が分かるようになっていた。


こうした中、日本国内の中国人による土地の購入は飽和に向かっていた。もはや日本人だけが所有する土地は飛び地ばかりとなり、まとまった土地の利用は不可能となっていいた。
土地の新開発をしようとしても、多くの優良な土地は中国人が持っており、開発は彼らの許可なしでは行えなくなっていた。


土地を思うように利用できず、地域の産業も外国資本に抑えられた地方の経済は帰化人一家の裁量次第となっていった。


もともとは、外国人の帰化が容易になったことでこの動きが始まった。


彼ら外国人は日本の国籍を獲得すると、中国本土から資本援助をもらい次々と土地や地域の産業を支えている金融機関を手中に収めていった。
地域の中小企業の経営者は銀行の実質的な所有者ととなった帰化資本家によらなければ事業を運営していくことが実質できなくなっていた。


<資本家であれば人も買える>
「再教育キャンプの中に、そうしたお金持ちの中国人が外見の優れた子供を求めて物色に訪れる。


2世3世たちは、「再教育キャンプ」で金持ち外国人にやとわれ、メイドとなって雇われてゆく。
しかし、それは名目だけで、実質は現代版の「性の奴隷」だったのだ。


「宗教2世たちが、解放を訴えて訪れた社会」
それは、思いもよらない全体主義の社会になっていた。


眠い、推敲なしで、GO